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熊野(ゆや)さんのお墓 [地元の話題]


きのうのつづきです。



みごとな長〜い藤で有名な磐田市池田の行興寺
熊野御前とその母のお墓があります。



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奥にあるふたつの石塔が熊野さんとおかあさんのお墓です。







熊野御前はお能「熊野」や「平家物語」にも登場します。

玉三郎さんの舞踊の演目「熊野」もお能が土台になっているようです。




「磐田文化財だより83号」に興味深い記事が。



以下抜粋です。

ふるさと磐田の指定文化財(7) 熊野絵巻と行興寺の宝篋印塔

今回は、「熊野絵巻」と「行興寺の宝篋印塔」を紹介します。前者は平成6年に、後者は昭和52年に旧豊田町の指定文化財となり、平成17年には磐田市指定文化財になっています。両方共、熊野の長フジ(国・県指定天然記念物)で有名な行興寺にあります。

<熊野御前と平宗盛>

熊野絵巻には、能の謡曲「熊野」の詞が優美な文字で書かれています。内容は、池田宿の長者の娘として生まれた熊野が、寵愛を受けていた武将、平宗盛に、年老いた母の看病のために京から故郷に帰ることを願い出る際のやりとりを謡ったものです。二人の出会いは平安時代末で、時の権力者・平清盛の子、宗盛が平治元年(1159)に遠江国司として赴任したことがきっかけであったようです。また、この話は古くは『平家物語』にも見られます。
熊野絵巻の形状は長さ8.3m幅30cmで、製作年代は室町時代後期と考えられます。寺伝によれば、謡曲「熊野」の作者・世阿弥が書いたものとも伝えられていますが、作者については別の説もあります。絵巻には、熊野や宗盛、その他大勢の人物が、素朴ながらも鮮やかで色彩豊かに描かれています。

<その後の熊野>
宗盛に許されて池田に戻った熊野でしたが、その後、源平の合戦で敗れた宗盛が処刑されてしまいます。さらに、数年で最愛の母が亡くなりました。行興寺の寺伝によれば、悲しみのあまり尼となった熊野はお堂を建立して、念仏三昧の日々を送ったと言われています。
行興寺の境内には、熊野とその母の墓とされる宝篋印塔が残されています。建立年代ははっきりしませんが、14世紀末に造られたものと考えられます。また、熊野は生前フジの木を大変愛し、行興寺の境内に植えたと伝えられています。
大好きな母やフジに囲まれて眠る熊野の心は、どんなに安らかなことでしょうか。

 

この絵巻物見てみたいです。

これとは別に屏風もあるらしい。

玉三郎公演にあわせて公開してくれないかな。

ぜひお願いしまーす。

 

 

行興寺熊野が建てたお堂のあったところにあるそうです。

長藤を楽しむ人たちでにぎわう頃はもちろんのこと

誰もいない静かな境内を歩いて

熊野さんのことに思いを馳せてみるのもまたおすすめです。

女性はついでにお願いごとも!


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熊野さんの家紋がデザインされた本堂のガラス戸


以前書いた「熊野の長藤」についての記事はこちら






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cinnamon-cardamon

夏炉冬扇さま

nice!をありがとうございました♫


by cinnamon-cardamon (2012-10-01 22:39) 

cinnamon-cardamon

kurakichiさま

nice!をありがとうございました♫
by cinnamon-cardamon (2012-10-01 23:03) 

cinnamon-cardamon

ほりけんさま

nice!をありがとうございました♫
by cinnamon-cardamon (2012-10-01 23:04) 

cinnamon-cardamon

su-nyaさま

nice!をありがとうございました♫
by cinnamon-cardamon (2012-10-01 23:05) 

cinnamon-cardamon

ため息の午後さま

nice!をありがとうございました♫
by cinnamon-cardamon (2012-10-01 23:07) 

cinnamon-cardamon

nachicさま

nice!をありがとうございました♫
by cinnamon-cardamon (2012-10-01 23:09) 

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